蹴球夢雑記

指導者を軸に様々な道を模索している21歳の教育系大学生です。Twitterもやっているので応援していただけると嬉しいです。

学校教育における「生きる力」とは誰が教えられるのか

 

先日、こんなTweetがありました。

 

私は高校生のとき、選手権をもってサッカーという競技から選手として退く事を決めました。その時、夏から推薦があり、第一志望の大学に2回落ちていました。そしてサッカー部を引退して、受験生として受験に専念したときに自分に「サッカーが無いと何も無い」事に気付きました。そこから今現在まで少年団の指導に携わっています。

そこで小学生の指導をしていく中で「小学校の教員になりたい!!」と思い、今現在、教育学部に所属しています。

 

今年、4年生となり教育実習を迎えます。

 

今まで、学んだ事を全て発揮したいと思います。

 

そんなことはさておき、なぜ冒頭にあのTweetを出したのか。

答えは簡単。自分が共感できる内容だったからです。

ちなみに私が教員を目指す事をやめた理由の1つでもあります。

 

私は1・2年次に現場実習に行っています。

なので、多少の教育現場もしっていますし、市の研究授業にも参加したことがあるので教員の学校現場以外での学びも少し知っています。

 

感じたのは、「学校」しか知らない教員が多いことです。

本来の学校教育では、資質・能力の育成に焦点が置かれています。

しかし、「知識」が独立して学習されていること、体系的・あるいは知識から仕組みを理解させるような学習の取り組みがなされていない、と感じました。

それは、カリキュラム自体にも問題があります。

新学習指導要領の学習内容についても学校現場では、比較的多くの学校でカリキュラムをその年度で終了させる事でいっぱいになっています。

本来、学習にこそ「PDCAサイクル」が利用されているはずですが、時間という制約があるため上手く回っていないと感じます。

それは授業が「失敗を前提に」作られていない事も1つの要因だと思います。

チャレンジとは、失敗が付き物であり失敗から得るものがあります。

しかし、時間という”制約”と成功体験を重視した学習内容によって、現代の子どもたちは「好奇心」が失われているように感じています(もちろん、インターネットの発達と使用頻度によって児童の思考が変化しているのも要因の1つである)。

 

他にも、教員の人々が「社会」を知らないと思うことが多々あります。

挙げたらキリが無いのですが(笑)

  1. 県におけるセミナー生がいる
  2. 県のボランティアが合格のための必須条件
  3. 中途採用枠が少ない
  4. 臨時採用枠が多い
  5. トレンドに弱い
  6. 年功序列の文化が根強い
  7. 雇用形態がおかしい

まぁ、教員になるためには教員のことを4年間勉強したほうがいいんです。

大学生とは本来、4年間を目いっぱい使って自分の学びたい事を学ぶのが4年間の意義だと思ってます。

教育学部に入ると、本当に「教員になるための勉強」しかしません。

まぁ、大学にはそこをやるメリットがあまり無いんでしょうが、「よりよい授業」とかそういった教員採用試験に関係する事に重点が置かれている気がします。

ちなみに雇用、とくに給料についてはこんなTweetも。

 

 

あれ?義務教育って誰もが通る道ですよね?

「義務」なのは重要だからなんですよね?

教員になるには採用試験があったり、介護等体験があったり、教育実習があったり、公務員であることも「教育」が大事、と捉えているからですよね?

 

自分はこれを「やりがい搾取」と呼んでいます。

自分の価値(=給料)が1時間当たり600円ですよ?高校生以下ですよ?

大変で重要な仕事なのに?

 

この辺に気付いた自分は、教員を諦める事にしました。

 

あとは「教育」しか学んでいないため、実社会にめっぽう弱いと感じます。

現場教員の方でどのくらい「信用経済」を知っているのか。

教育しか学ばず、大学から教員になった人がどうやって「実社会」と関連付けて教科等の学習を指導できるのか。

私はこの辺に疑問を抱いています。

 

だから、さるさんのような先生がこれから増えていく事を願います。

そして、教育環境の改善と雇用環境の改善がされることを望みます。

 

                              Mori Hiroyuki