蹴球夢雑記

指導者を軸に様々な道を模索している21歳の教育系大学生です。Twitterもやっているので応援していただけると嬉しいです。

なぜサッカーに教育が必要なのか。

 

サッカーに教育が必要な理由、

 

それは

 

「教育とは生死を司るものであり、

   育成年代において競技力を伸ばすこと以上に

   人間力を高める事がその後に繋がるから」(自分)

 

 

僕が教育学部に入って積み重ねた、

指導者と大学生として過ごした3年が、

もたらした1つの考えである。

 

 1.サッカーにおける教育=「なぜ?」を考える事である

 

 「なぜ?」とは選手自身が、何のためにこのTRをコーチは行なっているのか、意図は何なのかなどを体験を通して考える事である。

 

先に注意しておくが、

僕はこの"考える"は"察する"という事と同じではないと考える。

確かに"察する"事のように感じ取ることは必要だが、それは日本人特有の行間を読む事と同等である。

"考える"とはまず、自分で思考を働かせ導き出した答えを1つの意見として、相手にぶつけてみる。そうして「答え合わせ」を行う事で"気づき"や"評価"を行うことが出来る。

それは意見をぶつけられた側にとっても、答えを変容させるきっかけになる。

 

現代教育では「なぜ?」を考えることが増えて来た。グループディスカッションや集団討論、ディベートなどの「言語活動」と呼ばれるものである。そういったものになぜ理解を示さなければならないのかを次にまとめました。

 

2.ピッチレベルでは指導者の理想の教育は「義務教育」を理解した上で行わなければならない

 

選手であるとともに、児童(生徒・学生)である。

 

「選手」であるからサッカーだけ学んでいても理解は十分とは言い難い。

なぜなら、学校教育での授業スタイルが身体に馴染んでいるからである。 

だから、発表は手を挙げる、人に対して意見を言わない子どもが増えているように感じる。

あるいは、子どもでいる時と、選手である時の2面性が感じられる時がある。

全ては、より身近な指導である「学校教育」が存在するから。

「学校教育」では、人格の形成を目標に入れつつも、

実情的に対策できていない。

 

だから、指導では「人間力」の育成においても、

「学校教育」とはなにか、そこで何が行われているのか知る必要がある。

それを知らなければ、選手の「内側」を知る事は出来ない。

 

3.僕が体験した強豪校にある「伝統」や「上下関係」は教育ではない

 

日本にある「伝統」や年功序列からみられる「上下関係」は

現代においては全く持って教育的要素に含まれない。

 

例えば、グランド整備や道具の片付け、清掃などは1年生の仕事。

何か不手際があれば、「連帯責任」。

学生同士による「自治」は非常にアナログである。

なぜやるのか、その理由は「昔から存在するから」などの

‘‘伝統‘‘という訳のわからない理由にまとめられる。

これを自分が‘‘される側‘‘だった時の気持ちはどうだったのか。

 

こういったものが強豪校には良く見られる。

その根底は、強豪校=厳しい、といったイメージの先行があるから。

また、サッカーは集団スポーツ。

余程のエースがいても1人で勝つことはできない。

だから選手は、甘んじて受け入れる以外の選択肢を持たない。

 

 教育とは、集団の中でしか培う事のできないスキルが存在する。

だが、「なぜ?」を考えない・あるいは具体化しないままのものは

教育的要素を持たず、一方的なある種の自己満足のみが得られるだけになってしまう。

 

 

4.「動機付け」と「こじつけ」は異なる

 

 なんでも「~という要素があるからこのTRは優位性がある」といわれる。

じゃあ、その理由に‘‘自己の正当化‘‘はされていないか、他の人に聞いてみたり

TR中・後の選手の反応を見て本当にそのTRは理にかなっているか考えてみましょう。

 

ちなみに僕も少し前まで「素走り推進派」でした。

なぜなら、「走れば体力が身に付くし、メンタルも鍛えられる」からです。

けど、科学的に大した効果は得られないんですね。サッカーはマラソンではないので。

選手も結局そういった単純でつまらないTRは工夫を凝らしても、

「やらされている」TRになってしまいます。

選手時代、走った経験がある方は特に気をつけましょう。

どんなに走ってても、その走りには「自主性」は存在し得ないので。(笑)

 

「動機付け」は選手が先述した「なぜ?」に繋がってくるものです。

「こじつけ」は指導者の正当化によって生まれた自己満足です。

「動機付け」は選手が意欲的になる1つの重要な要素です。

 

 

5.「人間力」とはその人そのものである

 

人間力」とは、

 

社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力(引用:Wikipedia

 

と定義づけされています。(ちなみに内閣府内の組織で定義づけされています。)

 

つまり社会に貢献しなおかつ自立した人間になるための力、ということですね!!

(雑な表現で申し訳ないです・・・笑)

 

サッカーにおいても同様で、

 

  • 自分の成長にコミットするための行動が取れるか
  • チームがより良くなる為の行動が取れるか
  • 自分の意見を明確に表現し反応を受けて進化できるか   など・・・

 

こういった所に「人間力」は必要になってくると思います。

 

明確に表現するならば、「社会人基礎力」を挙げます。

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こういった能力だと思います。

 

ちなみに「社会人基礎力」は経済産業省から出されたものですね。

 

こういった能力って社会人に必要ってだけで別に社会出る前に身に付くものではないですよね。なんなら発達段階に注意すれば小学生や中学生でも持っていると思います。

 

6.サッカー×教育が目指すのは、深い思考とそれを表現できる関係作りである

 

「深い思考」と「それを表現できる関係作り」はサッカーの育成年代で培う事ができる。それは「動機付け」を行う事、そしてチームに所属している選手たちが自分たちで組織運営する事から始まる。

 

チームだからできることがある。

これが少年団や街クラブとサッカースクールの違いですね。

 

「深い思考」は「なぜ?」を繰り返してたどり着く自分の思考の‘‘未開の地‘‘です。

ここには「主体性」や「傾聴力」が必要となってきます。

チームであり「それを表現できる関係作り」があるからこそ、

自分の意見を素直に話し、自分の意見を踏まえた相手の意見を聞く。

指導者は一方的に指導せず、「動機付け」ができる問いかけをする。

こういったことができるチームが理想だと僕は考えます。

 

自分はこういった育成年代におけるチームビルディングができる

指導者になっていたいです!!

 

 

7.まとめ

 

  • 育成年代では「競技力」より「人間力」を重視!
  • 「なぜ?」を指導者も選手を考える
  • 「動機付け」が「こじつけ」にならないように!
  • 信頼関係の構築は何よりも大事です。

 

ここまで、お話しました。

 

指導者はその時だけを見ないでください。

選手は一生選手でいることはできません。

しかし、「人」として一生‘‘その後‘‘を生きていく事になります。

プロになるのは、東大生になるよりも難しいといわれます。

だから育成年代から‘‘選手のセカンドキャリア‘‘を考えて指導しましょう。

 

 

 なんか今回は堅い話になりましたね。(笑)

こんな感じでブログを発信していけたらと思います!!

 

では

またまた!!

 

Mori Hiroyuki