無意味な挫折ばかりの人生
なかなかブログ更新できなくてすみません。
まずは全てのツールを使いこなせるように頑張ります!
さて、自分のことを知ってもらうために・・・
先に言っておきます。今まで成功なんてありません。
様々な後悔を抱きながら、今も生き続けています。
下が、後悔や挫折の一覧表です。
- 小学校低学年はいじめをしていた
- 小学校高学年は引きこもって学校と家の往復
- 努力しない・遊ばないのにチームのキャプテン
- 市選抜にも選ばれないのにクラブチームへ進み学校でいじめられる
- 走るのが嫌いで言い訳して後方を走っていた
- 勉強しなくて中学3年の夏時点で志望校まで偏差値10足りなかった
- 県1部の強豪校の体験会で全く通用しない
- 県3部リーグで10点以上の差をつけられる
- 市のクラブ選抜に選ばれるもレイソル相手に何も出来ない
- 高校で県トップクラスの学校に入るも自主練しない
- 下手で練習中にいじめられる
- 下手すぎて上下関係が悪化し削られる、つばを練習中に吐かれる
- カテゴリーアップするチャンスから逃げた
- Cチームのキャプテンなのにチームに貢献できず降格させた
- 大学の試験に7回落ちる
挙げればこれくらいですかね(笑)
大体は、「逃げた」「努力しなかった」「仲間を大切にしなかった」のが原因だと思います。生まれつき、自己完結型の人間なのでもしかしたら性格もあったかもしれません。
サッカーは好きでした。それだけは先輩にも言われていました。
「サッカー続けないの?」と。
それでも努力できなかった自分に見切りをつけ、親へこれ以上迷惑をかけないために選手を辞めることを決断しました。元々、「プロになりたい!」という気持ちだけで無名の選手が県で3本の指に入るチームに入部したので、後悔はあまりありません。
ただ、それでも1番後悔しているのは「チームを降格させたこと」でした。
それまで自分が受けてきた上下関係を自分たちの代で断ち切るためにCチームのキャプテンを自分から買って出ました。なかなかマネジメントできず、情報共有に不備があったり、チーム内の不和があったり、先頭に自分が立てない事が続きました。そして個人としても自分よりチームの活動を優先にしたときがありました。当時、Cチームにいた自分がBチームの試合に帯同できるチャンスがあったのに、当時部内の審判部のリーダーとして依頼が来ていたほうへ行かなければいけないと断りました。当時は活動のためと割り切ってましたが、今思えば自己犠牲を言い訳にただ逃げていただけでしたね。
そして今でも鮮明に覚えている、県リーグで降格が決まった日。
その日、Cチームは3年生の発案でCチームでトップチームの応援に行きました。
トップチームは応援されると勝率が上がるチームでした。
その会場は暗黙の了解として恐らく鳴り物等を使用した応援が禁止でした。
その時は、ルールに縛られて何も出来ずただただ静観しているだけでした。
結果、チームはその試合に敗れ、降格が決まりました。
試合後トップチームのキャプテンとすれ違って、声をかけられて自分の不甲斐なさと申し訳なさを感じました。俺自身がチームにもっと貢献できることはなかったのかと。
そのシーズン通して、チームに何も貢献できなかったことが今でも心残りです。
指導者になったのはそれからまもなくですね。選手権が終わり、サッカー選手という競技人生が終わり、少し経ったころ。それから小学生時代の恩師がいるチームに戻りジュニア年代の指導に携わり始めました。
俺には成功体験がありません。あってもそれは俺自身が勝ち取ったものではなく、ただ得られたもの。だから人間的な魅力もないことを知っています。それでもこうやって発信しているのは、このまま進んだら誇れる自分になれないから。積み重ねの無い失敗に意味はありません。多分無意味な失敗を誰よりも経験しているから。自分がいつまわりに認められる自分になれるか分からないけれど、自分のビジョンがいつか叶えられるように「今」を必死に生きたいと思います。
まぁ先日ちょっと落ち込むようなことがあって、自分の人間的な魅力が無いことを感じたのでこんなことを書いて見ました。
Mori Hiroyuki