サッカーをエンターテイメントにする
こんにちは。
皆さん、バラエティ番組って観ますか?
あるいは、ライブに言ったりしますか?
これらの「エンターテイメント」は人がいる事によって成り立っており、
日常生活に当たり前のように存在しています。
今回は、「サッカーをエンターテイメントにする」ということについて。
これはサッカーを文化にすることにも繋がってくると考えています。
「サッカーをエンターテイメントにする」ことは
サッカーが誰にでも手軽に楽しむことが出来る
‘‘身近なサッカー文化の確立‘‘であると考えています。
まずは簡単に「エンターテイメント」について。
エンターテインメント (entertainment) は、人々を楽しませる娯楽を指す。楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語とされる。
(引用:Wikipedia)
元々スポーツも「エンターテイメント」に分類されていました。
私はアイドルが好きなので、バラエティ番組はよく観ます。(笑)
きっとテレビを見る方にとって身近のものです。
その主な目的は、楽しみや気分転換、息抜きではないでしょうか。
次に「サッカー」について。
サッカーは今もなお、関わり方が増えています。
サッカー選手を中心に、指導者や審判、トレーナーなどの選手に直接関わる人、
広報や運営陣などのクラブに関わる人、応援するサポーターや育成年代の保護者など。
試合観戦もスタジアムでの現地観戦やネット配信、アーカイブやTwitter等の実況など、様々な方法を取る事ができます。
サッカー人が必ず口にする「サッカーを文化にすること」。
一言でいっても人それぞれ想いを語れば内容は異なってくると思います。
サッカーの競技人口を増やしたい方もいれば、サッカーに関わる人を増やしたい方。
日本のサッカーレベルを上げたい方や、施設を整備したい方など語れば色々な意見があると思います。しかし、そのどれもが「日本のサッカーをレベルアップさせたい」気持ちは共通しています。実際、様々な方々がサッカーを広げるため、よりよいサッカー界にするために活動を行っています。
冒頭に「サッカーをエンターテイメント」にすることは
「サッカーを文化」にする事に繋がると話しました。
私がここで話したいポイントは2点あります。
- 当たり前のようにあり身近に存在する事
- サッカーの中心は‘‘選手‘‘であること
1については誰もが思い描く事ですが、現状は遠ざかっているといわざるを得ません。
確かに、プロサッカーが浸透し、W杯でも日本代表は結果を出しています。
そういった影響を受けて、スタジアムや競技場が作られたり、選手の進路は格段に広がりました。一方で、身近にサッカーが出来る場所であった公園は「ボールを蹴るのは禁止」と書かれている場所が増えました。またサッカーをするための整備は十分とは言い難いのが現状です。現在、国内にサッカー専用スタジアムは昨年のJ1の18チーム中6チームのみになっています。(球技専用スタジアムは6チーム)また怪我をしやすいジュニア年代についても多くのチームが小学校や体育館で練習しているのが現状です。
勿論、チーム数の増加によって選手がサッカーをしやすくはなっています。一方で、安全にプレーするにも人工芝ではないため、子どもにも怪我に対する恐怖心があります。
こういった点はまだまだ改善の余地があると思います。結局、やろうとしたりする際に敷居が高ければ高いほど参加する意思が薄れてしまいます。
2については当たり前なんですが、意外と見落としがちな点だと思います。
「エンターテイメント」からみてみるとより明確になると思います。
バラエティ番組などをみていると、多くの出演者は楽しそうにしていますよね。
あるいは、感情をあらわにしている姿がよく観られますよね。
これが今の指導現場に欠けてる点だと思います。
選手が楽しそうにしていたり、感情を素直に表現しているのが「エンターテイメント」のルールです。人を笑わせたいのに自分が楽しくなかったり面白くないものを出してもうまくいかないのは当然ですよね。指導現場でも「協調性」や「規律」を履き違えて選手に強制を促す指導がたまに見られます。この点が改めて指導の重要ポイントとして共通認識になればサッカーはより文化に近づくと思います。
今日(12/31)に行われた高校サッカーも本来は日本のサッカーの可能性を秘めたものですが、システムが確立されていないためサッカーに関わらない人への影響力があまりありません。
「ダ・ゾーン」によるサッカーの中継や、
サッカー番組があったり、有名人がサッカーに関わるようになりました。
様々な人が動いているサッカー界は常に少しづつ進化しています。
「サッカーをエンターテイメントにする」。
いろいろな人の想いがそこに詰まっています。
だからこそ、どのアイデアにも忘れてはいけない‘‘共通認識‘‘は必要だと思います。
Mori Hiroyuki